少女マンガ「ちはやふる」の影響で百人一首を知り、好きになったという人も多いのではないでしょうか。時代は古く、平安時代末期から日本で愛されているかるたであり、古来より日本人にはとても馴染みの深い遊び道具として定着しています。
百人一首は100人の歌人の和歌を綴っている訳ですが、中には現代人でも思わずキュンとしちゃうような素敵な恋の歌があるってご存知でしたか?思わず共感してしまうような胸キュン恋の歌をこちらの記事では紹介していきたいと思います。
目次
そもそも「百人一首」って一体何なの?
競技かるたを題材にした「ちはやふる」がヒットした事で百人一首の知名度が一気に上がりましたよね。劇中でも語られている百人一首の美しい歌に高い注目が集まっている昨今ではありますが、果たして百人一首とは一体何なのかと聞かれても答えられる人は少ないかなと思います。
恋の歌は全部で43句
百人一首とは百人の歌人の歌をそれぞれ一首ずつ撰んで集めた歌集です。百人一首の代表格である『小倉百人一首』は藤原定家という人物が飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の藤原家隆・雅経にいたるまでの代表的な歌人、百人の歌を撰んだものです。つまり百人一首は今から約730年も前に詠まれた歌集であるという事になるんですね。
ちなみに小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。男性の内訳は、天皇7名、親王1名、公卿28名(うち摂政関白4名、征夷大将軍1名)、下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名です。また女性の内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名となっています。
歌の内容による内訳では、春が6首、夏が4首、秋が16首、冬が6首、離別が1首、羇旅が4首、恋が43首、雑が19首、雑秋が1首です。女性が気になる恋にまつわる歌手は全部で43句あるという事になります。
遊び方
歌集として使われる事も多かった百人一首ですが、現在ではかるたとしての知名度の方が高いですよね。特に正月の風物詩として馴染みが深く、一般家庭でも歌がるたとして楽しんでいる家庭も多いのではないでしょうか。
百人一首かるたは百枚の読み札と同数の取り札の合計二百枚から成ります。読み札と取り札はともに花札のように紙を張り重ねてつくられていて、大きさは74×53mm程度であることが一般的です。読み札の表面には大和絵ふうの歌人の肖像(これは歌仙絵巻物などを模した意匠が多い)と作者の名、和歌が記されており、取り札には全て仮名書きで下の句だけが書かれています。
競技かるたと呼ばれる本格的な競技にも用いられていて、毎年1月の上旬に滋賀県大津市にある近江神宮で名人戦・クイーン戦が開催されています。
ちはやふるの影響で知名度アップ
日本古来の百人一首ではありますが時代の波には逆らえずあまり一般的ではなかったのですが、少女漫画「ちはやふる」の大ヒットで百人一首、及び競技かるたが一般的にも知られるようになり、現実世界の競技人口にも大きな影響を与えたと言われています。ちはやふるは漫画だけでなく、アニメや実写映画も大ヒット。2008年2月から連載が開始されていて現在でも連載中ですが、今でも高い人気を誇っている大人気漫画として常に高い注目を集めています。
本作がきっかけで袴姿で競技かるたを始める人が日本国外でも現れる等、競技かるた人口の拡大にも貢献しています。滋賀県大津市では2012年2月に「ちはやふる・大津」キャンペーン実行委員会が設立され、現在でも本作を活かした観光事業が展開されているなど、漫画という枠を超えた一大ムーブメントを巻き起こしているのです。
現代人にオススメしたい胸キュン恋の歌
という訳でここからは全部で43句ある百人一首の中から特に人気の高いオススメの恋の歌を紹介していきたいと思います。700年以上も前に作られた歌集でありながら現代人でも思わずキュンとしちゃうような…美しくも儚い恋の歌を集めてみました。
陽成院
筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
筑波山の峰から流れ落ちてくる川。初めは細々とした流れから次第に水かさを増して深い淵となるように、人知れずあなたの事を思っている私の恋心も、積もり積もって深い淵となってしまいました…という意味です。
初めは気付かない程に細く小さな恋心、しかしそれはいつの日か気付かないうちに大きな恋心へと変化していく様を、川を流れる水に例えて表現している非常に美しい歌です。
元良親王
わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
あなたに会えないのであれば死んだも同然です。それならいっそ難波潟にある澪標のように身を尽くしても構わない…それでもアナタに会いたいのです。という意味を綴った歌です。
これを作った元良親王は平安時代ナンバー1のプレイボーイと言われていた人だそうです。ある時宇多上皇お気に入りの后とこっそり会っているのがばれてしまい会えなくなってしまいます。嘆き悲しみながら綴った歌がこれだと言われています。
平兼盛
しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は物や思ふと 人の問ふまで
人に知られまいと愛しい思いを隠していたけど隠し切れずに顔に出てしまいました…「恋の想いごとでもしているのですか?」と人に尋ねられてしまう程バレバレ…という意味です。
この歌が有名になったキッカケは名探偵コナンの映画で使用された事が理由です。天皇の玄孫に当たる平兼盛の代表的な歌で、この歌を誰にあてて書いたのかは今でも謎のようです。恋する気持ちを歌ったなんとも胸キュンな歌ですね。
式子内親王
玉の緒よ 絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
絶える事なら早く私の命が絶えて欲しい。このまま生きながらえていると耐え忍んでいる私の心は弱くなります。秘めている思いが人に知られてしまうと困ってしまう…という意味です。
この歌を詠んだ式子内親王は平安時代末期の皇女で女房三十六歌仙(女性歌人三十六人)の一人です。藤原俊成の弟子なのですが、その藤原俊成の子である、藤原定家と恋愛関係にあったと言われています。この歌が定家のことを詠んだのかわかりませんが、秘めている思いがばれないなら死んでもかまわないという、相当な情熱と愛情を感じる恋の歌です。
藤原実方朝臣
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
こんなにアナタの事を思っていますがそれを伝える事など絶対にできません。伊吹山のもぐさのように私の心が熱く燃えていることなんてあなたは知らないんでしょうね…という意味です。
これを詠った藤原実方はハンサムでプレイボーイとして有名でした。恋人である歌人であった清少納言に負けない恋の歌を作りたいと思って詠ったのがこの歌であると言われています。
崇徳院
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あわむとぞ思ふ
川の瀬の流れが早く岩にせき止められた急流が一度は分かれたとしても、のちにはまた一つになる滝川。それと同じようにたとえ今は恋しい人と別れていても将来は必ず結ばれると信じています…という事を詠った歌です。
崇徳院は幼くして天皇の位につきましたがその人生は人々に利用されたりと波瀾万丈でした。崇徳院が宮中にいた頃につくった和歌のひとつがこの歌ですが、報われないと確信している恋…それでもいつの日かは結ばれると信じている…なんとも悲しくなってくる切ない詩ではありませんか。
儀同三司母
忘れじの 行く末までは難ければ 今日を限りの 命ともがな
「いつまでも忘れない」という言葉はとても嬉しいけど、いつまでも変わらないというのは難しいでしょう。だからその言葉を聴いたこの幸せな気持ちのまま、命が尽きたらいいのにと思うのです…という詩です。
実はこれ新婚ホヤホヤの時に作られた詩なんだそうです。幸せの絶頂でありながらもこの幸せはいつまでも続く訳がないと思っている、そんな複雑な女心を詠った詩です。
藤原道信
明けぬれば 暮るるものとは知りながら なほうらめしき朝ぼらけかな
一晩中過ごした夜が明けていく。夜がまたすぐに来るという事は当然分かっているが、それでもこの夜明け前の時間が恨めしい…という事を詠った歌です。
藤原道信は平安時代中期の公家で歌人でもあります。恋した婉子女王は藤原実資に嫁してしまったし奥さんもいたようなので、この歌が婉子女王に送られたものなのか奥さんあてのものなかはわかりません。しかし女性であれば誰もが一度はこう思われたいと思ってしまうような胸キュンなセリフですよね。
藤原義孝
君がため 惜しからざりし 命さへ長くもがなと 思ひけるかな
あなたに会えるならこの命も惜しくないと思ってました…でもいざこうしてあなたに会えた今、いつまでも長く生きてあなたと一緒にいたいと思うようになりました…という歌です。
藤原義孝は和歌の天才と呼ばれ、とてもハンサムで心優しい人物でした。初めて逢瀬した後に、愛する人に届けた手紙に書かれていたのがこの歌だと言われています。ストレートな言葉ではありますが女性であれば思わず胸キュン必至の嬉しい言葉ですよね。
まとめ
思わず胸キュンしてしまうような甘い恋の歌を9つ紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。ちはやふるでも紹介された事がある恋の歌もあれば紹介された事のないものまで多種多様な種類のものを選んでみました。昔も今もそうですが恋する男女は盲目になってしまうという事なんですね。この時代は今よりももっと自由な恋愛ができない時代ですし、携帯などもありませんから、恋の歌を届けて相手に気持ちを伝えるというのはとても重要な事だったんです。
現代人でも言われたら嬉しい、またはこう思う時ある…と気持ちを共感できるのが凄いですよね。700年以上経った今でも愛されている百人一首の詩…興味がある方は是非全ての詩を詠んで意味を勉強してみて下さいね。